大谷翔平の背番号 「17」 「16」 「11」 のなぜ|歴代背番号の秘密を1つ1つ深掘り

大谷選手の背番号といえば、どの番号が思い浮かびますか?

エンゼルスの「17」?日本ハムの「11」

WBCから興味を持った人は「16」のイメージが強いかもしれません。

今回は、大谷選手がなぜその番号をつけるようになったのか、1つ1つの背番号にまつわるエピソードを紹介していきたいと思います。

大谷選手は基本「背番号にこだわりはない」というスタンスなのが曲者ですが(笑)言葉の端々に見える彼自身の思いについても探っていきましょう。

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エンゼルスでの背番号「17」について

現在、エンゼルスでつけている背番号は「17」

この番号にしたいきさつは、日本ハム時代に背負っていた「11」がエンゼルスでは永久欠番でつけられなかった結果、選んだとされています。

入団会見では、背番号について聞かれ

「本当は「27」にしようと思ってたのに、埋まっていたので「17」にしました」

とジョークで周囲を笑わせ、アメリカ人の心を掴んでいました。

「27」はメジャーのファンなら誰もが知るエンゼルスのスター、マイク・トラウト選手の番号だからです。

では、17を選んだ理由は何だったのでしょう?

これからメジャーで戦っていこうとする時に、テキトーな番号をつけるわけがないですよね。

本人は「17にした理由は、特にない」と表向き話していますが、私は特別な意味が込められていると見ています

それは何か?大谷選手の出身校、花巻東高校にまつわるものです。

母校で受け継がれている特別な背番号

大谷選手が入学する3年前、ある一人の投手が花巻東に彗星のごとく現れ、高校野球を席巻していきました。

現在、メジャーで活躍中の菊池雄星投手です。

1年夏から甲子園出場。エースとなった3年時は、チームをセンバツ準優勝・夏の選手権ベスト4へと導き、花巻東の名を全国に知らしめました。

その菊池投手が1年生の時につけていた背番号が「17」

これ以降、花巻東では「17」は将来のエース候補がつける特別な番号になったそうです。

大谷選手も1年生の時、憧れの17をつけてプレーしています。

その後エースになり、全国に名を轟かせる存在にまで階段をかけ上がっていきました。

メジャーに挑戦する大谷選手が、高校1年の時と同じ背番号をつける。

新たなスタート地点に立つ自分を、期待の番号「17」を背負って出発し、トップまで登りつめた高校時代の自分に重ねたのではないか、と想像できるんですよね。

大谷選手自身は、このテの話に「深読みしないでください」と笑いながらも

「僕が新たな気持ちで、ここで頑張っていこうと決めた時に、17にしようかなと思った」

と話しています。

メジャーという夢の舞台で、もう一度原点の気持ちに戻ってトップを目指すという思いが「17」には込められているのではないでしょうか。

WBCで背番号「16」をつけて戦ったワケ

WBCのメンバー発表の会見で、侍ジャパンのユニフォームを着る大谷選手を見て「あれ?大谷16なんだ」って思った人も多いはず。

慣れ親しんだエンゼルスの「17」でも、日本ハムの「11」でもない、背番号「16」の大谷選手に違和感アリアリだったのか、

「大谷を差し置いて、17や11を選んだ選手が他にいる!?」

と、一時SNSで背番号がトレンド入りしていました。

ただ、実は「16」は大谷選手にとってとても思い入れのある背番号で、今回も自らこの番号を選んでいます

運命に導かれるように「16」を手に

2014年、大谷選手20歳の時。

日米野球出場のため、はじめて侍ジャパンのユニフォームを着た時の背番号が16でした。

それから現在まで、大谷選手のジャパンは「16」で統一されています

チーム最年少で臨んだ初の侍ジャパン。背番号は先輩から選んでいく慣わしで、大谷選手の順番は一番最後でした。

次々と番号が消えていくなか、不思議と「16」が最後まで残っていて「これしかない」と思い即決したそうです。

「必然でした。「16を選んでくれ」というような。それしかないなと。」

なんせ「16」は、尊敬するメジャーのパイオニア・野茂英雄さんがドジャースで背負っていた番号

まさに、当時の大谷選手にとってはこれ以上にない巡り合わせだったんです。

16でイメージする選手を聞かれた時も、ニヤリとして

「野茂さんと言ってほしいんですか? いや、でも野茂さんしかいないです」

と、嬉しそうに答えていたのが印象的でした。

悔しさを込めた番号を背に、世界一へ

「背番号にあまりこだわりはない」という大谷選手ですが、メンバー発表の会見では「16」を選んだ理由について、ちょっぴりヒントもくれています。

「(選んだ理由は)前回出られなかったのが一番かなと思います。」

前回とは2017年のWBC、大谷選手がメンバー入りをしていながら、右足首を痛めて直前で辞退した大会です。

もちろん、この時も「16」で出場する予定でした。

開幕前、TBSの『バース・デイ』でもMCの東山紀之に

「子どもの頃からの夢でした。世界の一流選手と対戦できるのが今から楽しみで仕方ない。」

と熱い胸のうちを語っていただけに、無念の気持ちが大きかったようです。

自分が出場するはずだった大会を見ながら、悔しさでリハビリ時に珍しく心が荒れる様子も見せていたそう。

当時、日本ハムを率いていた栗山監督が「大変だった。ああいう翔平はなかなか見られない」と語るほどでした。

そんな思いを持って臨んだ今回のWBC、「16」を選ばない理由はないですよね。

前回の悔しさも詰め込んだ背番号16だったのかもしれません。

止まっていた時間を取り戻すかのように、今大会では投打でチームを引っぱり、日本中を感動の渦に巻き込んだのは記憶に新しいですね。

日本ハム時代の「11」はスターの継承

プロ野球選手として、はじめてつけた背番号が日本ハムの「11」

大谷選手入団の2年前まで、エース・ダルビッシュ有投手が背負っていた輝かしい番号です。

ダルビッシュ投手のメジャー移籍に伴い、入れ替わるように大谷選手に託されました。

球団がどれだけ大谷選手に期待をかけていたかがわかりますよね。

日本ハムは、よく斬新な背番号の与え方をすることがあります。

斎藤佑樹投手に(野手がつけることが多い)「1」を与えたり。

ピッチャーの武田久投手のつけていた「21」を、引退後に野手の清宮幸太郎選手に託したり。

良く言えば常識にとらわれない、悪く言えば気をてらい過ぎた番号の振り方です。

ただ、このダルビッシュ→大谷の「11」リレーは、世界に羽ばたくスター同士の最高のバトンパスだったと言えるでしょう

ダルビッシュ選手の渡米から5年後、大谷選手も海を渡ります。

それぞれがメジャーの舞台で大活躍し、今度は同じ侍ジャパンのユニフォームを着て世界一まで登りつめました。

現在、日本ハムの「11」は空位

大谷選手かダルビッシュ選手の日本ハム復帰のために、ここまま空けておくのか。

はたまた有望な選手がいれば、第三走者としてバトンリレーがあるのか。

楽しみが広がりますね。

「11」の名前がついた施設がスタジアムに登場

2023年から、北海道日本ハムファイターズの本拠地となった「エスコンフィールドHOKKAIDO」

そのレフトスタンド後方には、大谷選手・ダルビッシュ選手2人の功績を称え、両選手の背番号にちなんだ「TOWER 11 (タワー イレブン)」が併設されています。

5階層の3階には、なんと世界初の球場内温泉&サウナが。温泉に入りながら、プロ野球をライブ観戦できる唯一の施設だそう。

ととのえに行きたい…!

そのほかフィールドを一望できるホテルやミュージアムまで備わっていて、まさに球場を中心にしたエンターテイメント施設のようです。

背番号にちなんだスポットまで新スタジアムに作られるとは、「11」がいかにファイターズにとって特別なものなのかがわかりますよね。

まとめ

大谷選手の歴代背番号について、エピソードを交えながら1つ1つ解説してきました。

2023年オフ、大谷選手はFAによって新天地へ移籍するというウワサもあります。

また新たな背番号が加わるのでしょうか。

そのあたりも含め、今後の展開を楽しみにしたいですね。

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